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【連載】vol.2 アート書道教室

執筆者の写真: 小保根亜美小保根亜美

更新日:2024年12月4日


こんにちは。ストレングスジャーナリストの小保根亜美です。


前回の記事に対して、嬉しい感想をいくつもいただきました。

読んでいただいたみなさま、さらに感想までいただいたみなさま、本当にありがとうございます。


次の記事を楽しみにしていますとのお言葉、とても励みになります。

今後もよろしければ、読んでいただいた感想や、もっとこんな話が読みたいというリクエストなどあればコメント欄へご記入くださると嬉しいです。


それでは早速、本日も関吉久美の真実をお伝えしていきます。



今日のテーマは「アート書道教室」



先日、彼女の書道教室に取材という形で参加させていただきました。

そこで見たもの、感じたことをお伝えしていきます。




決めること


彼女の教室に参加し、まず目の当たりにしたのが「決める」場面だった。

そしてその後も、多くの決める場面に遭遇することとなった。


この教室では、「決める」という場面が多々ある。


ある方が作品展示会に出す作品について相談をしていた。

大きな紙に書いた作品。

だが、作品展示会に出せる作品の大きさには規定がある。

その規定の大きさにするためには、できた作品から見せたい部分を決める必要がある。

どこを切り捨て、どこを残すのか。

この決断は、自分が愛情を込めて作り上げた作品であるがゆえ、苦しいものでもある。


この時に関吉先生がするのは、生徒さんの作品のどこを切り取るかを決めることではない。

どこを切り取るかを決めるに当たっての、判断材料を与えることだった。


決めるのは、あくまで生徒さん本人。

いくつかの提案や、質問に答えた後は、生徒さんに任せるのだ。

放任しているのではない。

生徒さんが出した答えに、彼女が伝える言葉は「OK」「いいよ」。



切り取る部分が決まったら今度は落款をどこに押すのか。

そして額縁の素材、色、さらには作品のタイトル、それらも決めていく必要がある。


とにかく決める。

その都度、必要な情報、こうした場合はどうなるという判断材料を伝えて、生徒さんの答えにオールOKを出す。


そんな瞬間があらゆる生徒との間に見られた。

作品を書いている間も同じ。どこまで墨を入れるか。どの程度白を残すか。ひらがなにするか、漢字を入れるか、縦書きか横書きか。とにかく決断の連続だということがわかった。



そして次に気づいたことは、生徒さんの作る作品がとにかく多種多様であることだった。



作品の多様さ


生徒さんの作品は、ものの見事にバラバラだ。

間違いなく一つの教室で、一人の先生から教わっているにもかかわらず、誰一人として他の人と同じことをしている生徒さんが居ない。


ひたすら細い線が書かれた作品を生み出す生徒さん。四角を書き続けている生徒さん。

新たな技法をうみ出した生徒さん。一切の妥協を許さずに書いた文字を隠すように、墨を重ねてしまう生徒さん。正方形の紙に作品を作り上げる生徒さん。


これが書道教室…?


みなさんが経験してきた書道を思い出してほしい。

机上の左にはお手本、真ん中に半紙と文鎮、そして右に墨の入った硯と筆。

学校の授業で習った書道には、このような正解があったはずだ。


書道にはお手本があり、いかにお手本通りに書くか。

お手本に近ければ近いほど正解に近づく。

書道の授業では、みな同じ文字を同じように書いていたはずである。



だけど、彼女の書道教室はそうではない。


彼女の書道教室では、正解は与えられないし、お手本もない。


正解は生徒さん自身が自分で決めている。


その一人一人の出した正解に、彼女はOKを出しているのだ。

それゆえ、多種多様な作品が生み出される。


彼女が書道教室で発する言葉の大半は、「いいよ」「オッケー」

「いいね」「かっこいいよ」そんな言葉ばかり。


その全てを肯定する言葉があるからこそ、生徒さんは、それぞれ自分なりの作品を思い思いに書くことができるのだ。


もし、「いやこれは違う」、「こうじゃない」、「こうしなさい」、こんな言葉ばかりを言われ続けたとしたら、人と違う作品を作り出すことができるだろうか。

否定され、修正されることを恐れて、挑戦などできないはずである。


ここにも、長く在籍している生徒さんが多い理由があることは間違いないだろう。



彼女の教室では書道の作品を通して、みんな自分にOKをだしていいよって伝えているのだ。


だから、彼女は慕われているのだ。

もちろん、関吉先生から書道を学びたい、先生のような作品を作れるようになりたい、その気持ちから入っている教室だろう。

だが、きっと技術を学ぶに連れて、知識が増えるに連れて、自分のやりたいことも出てくるはずだ。


それにOKを出してくれる彼女だから、続けていられるのだ。

さまざまな挑戦ができるのだ。


彼女は生徒さんを信じている。

生徒さんの技術を、作品を、信じているし、認めている。


だからこそ、疑うこともある。

長年かけてたくさんのことを伝えてきた生徒さんに対して、

「私が持っている知識、技術は全てお伝えしました。もう無いです。

だからもう私から教わることはないでしょ?」と。


それは彼女が生徒さんをありのままに認めているからで、

生徒さんが書いたありのままの字を見たいと思っているからで、

それは彼女が、生徒さんの力を信じているからこその疑いなのだ。


そして、彼女は書道を通して得られる経験、

日常生活を送っているだけでは感じることのない、

嬉しい気持ちを生徒さんたちに体験してほしいと思っている。


その一つが、作品展示会である。


彼女の生徒さんたちの作品が展示される作品展示会が、3月に銀座で行われる。

その生徒さんたちの作品をぜひみてほしい。


一人の先生から教わっている生徒さんたちの作品が、こんなにも多種多様なのかということを。



豊かな時間


最後に伝えたいのは、彼女の書道教室はとにかく豊かな時間だということである。

これは私が教室にいる時間を通して感じたことである。


とは言え、生徒さんたちが、常に笑っているわけではない。

彼女自身も、楽をしているわけでもない。


むしろ逆だ。

とある生徒さんは言っていた。

「楽しかったのはここまで。ここからは苦しい時間」だと。


自分の作品を、満足いくものに仕上げたい、だからこその思いに違いない。


作品を生み出すことは楽しいばかりではない。苦しい時間が含まれる。

だけど考えてみてほしい。

自分の作品について真剣に考え、真剣に悩み、真剣に苦しみ、真剣に作品を生み出す。

その生み出した作品について真剣に議論し、より満足度を高めるための改善をする。


これほど豊かな時間があるだろうか。

そこに、真剣に向き合ってくれる先生が居て、仲間がいる。


彼女の書道教室のチラシにもこう書いてある。

「楽しいわけがない」

その言葉は、彼女の教室に参加することで腑に落ちた。その通りなのだ。

楽しいわけがない。だって苦しみながらも生み出す作品だもの。

謙虚に真剣に向き合い、自分で自分の能力に挑戦し、その挑戦の結果を自分で受け止める。


それは時に苦しく、辛い時間でもある。自分に向き合うというのはそういうことなのだ。

だけどそこには、自分で正解を決め、自分で向き合い、自分でやり切るからこその、達成感、満足感があり、それは何ものにも変え難い豊かな時間となる。



そして安心してほしい。

自分に向き合う方法、技法、上達するルート、支えてくれる仲間、環境、それは全て関吉先生が用意してくれている。

あとは、そこに飛び込み、自分が自分にOKを出せるか。

これで良い、これが良いと「決める」ことができるか。

ただそれだけなのだ。


そして忘れないでほしい。

関吉久美はいつだって「オールOK」なのだ。

それはあなたの決断に対しても例外ではない。


彼女の教室に通うことによって得られるものは、書道に関する知識、技術はもちろん、豊かな時間、仲間、認めてもらえる安心感、決める力など、書道に関することに留まらない。



ここからさらに、どこまで関吉久美の幅が広がっていくのか。どんどん掘り下げて、何が出てくるのか。真実をさらに伝えていきたい。



 

書道教室のご案内はこちらから。



文中に出てくる作品展はこちら。




 

ここで、関吉さん本人からのアンサーを紹介します。


【関吉久美のアンサー】

〇私の喜び(=自慢)

→私の門下生は一人残らず皆、ものすごく上手く書けるという事実。

 全員が本当に素晴らしい芸術家であるという事実。


〇今後の私の役割

 →門下生たちが自分の生み出した作品に対して自らOKを出せるように「決める力」を養っていきたい。関吉はなぜ決められるのか。自分はなぜ決められないのか。もうわかってるよね?センスや才能じゃあ、ないってこと…。

私は、関吉久美の分身を作りたいわけではないので、ね。

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