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【連載】vol.6 誇れ

  • 執筆者の写真: 小保根亜美
    小保根亜美
  • 4月15日
  • 読了時間: 6分

更新日:5 日前

ストレングスジャーナリストの小保根亜美です。


こんにちは!新年度が始まりましたね!

新しい環境で新生活が始まった方も、今まで通りの生活の方も、

色々な春を迎えていることと思います。

春の穏やかな気候のように、みなさまの心に穏やかな時間が

流れているといいなと願わずにはいられません。

それでは今月も、関吉久美さんの真実をお届けしていきます。


今月のテーマは…誇れ。


これは、誰から誰への言葉なのか。

この言葉の真意とは?想像を膨らませながら読み進めていただければ幸いです。


はじめに


関吉先生は、時に驚く言葉を発する。

嘘でしょ?と思うような言葉を。


けれども、ここまで彼女の言葉を何十時間と聞いてきているので、

その言葉は、彼女の心から出てくる、嘘偽りのない言葉だということもわかる。


関吉先生の作品をみたことがある方は、その作品にどんな感想を持つだろうか。


「こんなの誰でも書ける」そう思う方はいるだろうか。



少なくともわたしには書けない。

ちょっとやそっと練習しただけでは書けるはずがないこともわかる。



だがどうだろう。

彼女はこう口にするのだ。

「こんなの誰でも書けるから」

「ちょっと上手に字が書けることなんて大したことない」。


わお、まじかよ。

(おっと、つい、心の声が漏れてしまいました。)


誤解を避けたいので念の為にお伝えするが、

彼女は書道を心からリスペクトしている。



基本に立ちかえる


彼女の書道教室は、3月から新たな一年が始まっている。


最初の課題は、一本の線を書くこと。


教室の時間の2〜3時間をめいっぱい使い

一本の線を書いていく。


ああでもない、こうでもないと試行錯誤を重ねて

理想の線が書けるまで練習をするのだ。


それがどうやら相当難しいらしい。


筆を持つ角度、手首を返す方向、筆を紙から離す力加減。

それらのどこからも気が抜けないのだ。


門下生たちは、その一本の理想の線を書くために

教室の時間を使い切る。

それでも、「完璧!」と言い切れる線を書ける方は

まだいないという。



では関吉先生はどうなのか。



一発でその線を書くことができるという。



何度も彼女の元で練習を重ねている門下生が

数時間を費やしても書けない線を、

彼女は一発で書くことができるのだ。


好きではない作品


実は彼女が書いてきた作品のうち、彼女には好きではない作品がある。

好きではない作品は、残したくないと語る。

なので、本来は作品集にも載せたくないのが本音だ。

だが、その好きではない作品は作品集にも載っている。


それはなぜか。

答えは「みんなどうせ好きなんでしょ」という気持ちからだ。


彼女が好きとは思えない作品は、奇しくも周りからの評価が高いという。

彼女はその作品を、いくらでも作ることができる。

すぐに書き上げることができる。


門下生からも、「この作品やっぱり好きです〜」と言われると

大人気なく不貞腐れてしまう。

「こんなの一発書きだよ。」「好きじゃないんだよね。」と

口にしてしまうほどだ。


こう言ってしまうことには、理由がある。


この作品は、文字通り、彼女にとっては

時間をかけずに、一発で書ける、「あんなものすぐできる作品」だからだ。



書道教室での評価基準


彼女の教室では、自らの作品を評価するにあたって、

評価基準を設けている。


それはその作品に対して「どれほど時間と手間をかけたか」である。


良い作品ほど、時間と手間がかかっているものなのだ。


どれほど研究したのか、どれほど練習したのか、どれほどの技法を取り入れているか、

どれほど頭を使って考え、理想の形を表現しているか。


一枚の作品を書き上げるために、どれほどの時間と手間をかけているかという

評価基準に基づくと彼女の好きではない作品は、

「すぐ書ける」ゆえに、彼女の評価は低いのだ。



だが思い出してほしい。


彼女の「誰でも書ける」はあてにならない。


彼女が「すぐに一発で書ける」からと言って、その作品の評価が低いはずがないのだ。


なぜなら、彼女が積み重ねてきた時間、師範としての確かな知識、技術、

そして研究を重ねて揃えてきた道具があって初めて、

その作品が書き上げられているのだから。


しかも彼女は、自分で「久美愛玩」という筆すらも特注で作ってしまうほどだ。


これまでの彼女の書道にかけてきた全ての時間があってこそ、

すぐに書ける作品ができあがるのだ。


だから彼女は気づいたのだ。

わずかな時間で書いた作品であれ、

一発書きの作品であれ、「誇れ」と。

この「誇れ」という言葉は、関吉先生が自身に向けた言葉なのだ。


苦しむことができるか


彼女の書道教室の案内には、こんな一文がある。

「楽しいわけがない」

「ストイックに筆と墨と紙に向き合う。謙虚に。」


彼女は苦しみたいのだ。

苦しむくらい、難しい課題に挑戦したいのだ。



小学生から始めた書道。

ブランクを経て、書道のルールを一切無視して

「書道を楽しむ」期間を経てからの、

書道をひたすら研究し、技術も高めてきた今。


書きたいとイメージしたものは、

おそらく大抵のものが書けてしまう。


だが、彼女は簡単に書きたいわけではない。


本当はもっと苦労して、

試行錯誤をして、

時間と労力を費やして

苦しみ抜いて作品を生み出したいのだ。


それほどまでに、彼女は書道をリスペクトしているのだ。


さいごに


彼女は書道家としての一面がありながら、もちろんそれ以外の面もたくさん持っている。


母親として、妻として、関吉久美自身として。


これまでのように、

あんな車に乗りたい、海外のあの場所に行ってみたい、

銀座の回らないお寿司屋さんで美味しいお寿司を食べたい

などという希望は今はない。


わかっている、どれも大したことはないと。


だからこそ、今までにない、振り切った面白いことを

したいと考えている。


それが何かはわからない。

だけれども、書道とはまた別の分野で、

何か面白いことを企んでいる。


彼女の書道以外の一面も楽しみにしてほしい。


その一面は、書道家関吉久美の印象とは

かけ離れたものかもしれない。


そしてまた、書道家としては、一つ一つの作品に

「誇れ」という言葉を背負っていく。


今後ますます、書道家としての関吉久美、そして

一人の人間としての関吉久美の挑戦から目が離せない。



ここで、関吉さん本人からのアンサーを紹介します。


【関吉久美のアンサー】

芸術活動に正解はない。

でも進むべき「指針」はなければならないと思うんです。

その「指針」は本当であれば、自分自身で見つけて「私の芸術活動はこうであるべきだ!」を自分で作ることが必要です。

他人からの「こうであるべき」には従う必要はないけど、

自分で作る「こうであるべき」は必要です。自分で決める。

ところが、それがなかなかできない。

私の門下生たちは、私を信じて「関吉久美フィルター」を通した「関吉久美のこうであるべきだ」を習いに来ています。

他の芸術家や書道家の「こうであるべきだ」なんて私は知りません。

関吉久美の「こうであるべきだ」を信じて習いに来てる門下生には、私は自信を持って伝えます。

その自信はどこから来るのか。

それは日々の研究と研鑽です。

どうか信じてください…笑




誇れ
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