こんにちは!ストレングスジャーナリストの小保根亜美です。
3月に入り、札幌では暖かくなったかと思えば大雪が降ったりと、春が近づいていることを感じる季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今月も、関吉久美さんの真実をお届けしていきます。
今月のテーマは…えこひいき。
「えこひいき、するよ!」と堂々と口にする、彼女の心にある思いとは。
あなたのえこひいきの認識と一致するでしょうか。
そんなことも考えながら、「えこひいきはすべき」とまでいう彼女の思いを
読み進めていただけますと幸いです。
はじめに
あなたは「えこひいき」という言葉に、どのような印象を持っているだろうか。
ずるい、とか、嫌な思いをしたとか、もしくは、私だけえこひいきされて気まずかった…
などの思いをしたことがある人もいるかもしれない。
そもそも「えこひいき」という言葉はどのような意味を持つのか。
えこひいき 自分の気に入った人だけに味方し、不公平に遇するさま、などを意味する表現。 引用元:辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書
つまり、みんなに平等に、みんなに同じように接するわけではないよってことである。
うーん。今の世の中、男女平等、えこひいきしちゃだめですよ〜という風潮、
しっかり刷り込まれているのではないか。
そんな中、彼女は「えこひいきしてるよ!」と、さも当然ですという顔で語る。しかし、彼女のえこひいきはこれまでに私が抱いてきた印象とはまるで違うものだった。
ポジティブなえこひいき
わたしが元々持っていたえこひいきの印象は、えこひいきをする側の好みや一時の感情、
腹の虫の居所などで、理不尽に差をつけられ嫌な思いをするという”ネガティブ”なものであった。
えこひいきしたくもないし、されたくもない、というのが正直な気持ち。
だが、彼女のえこひいきは少し違う。
なんともポジティブなのだ。
彼女がえこひいきをするのは、
真っ当な努力を重ねている人。
正直な人。
誠実に、自分のできることをコツコツと続けて結果を出している人。
そんな人だ。
書道の作品は、それを作り上げるためにどれほどのお金と時間をかけたかが、
その作品を見ることでわかる。
その作品に使われている素材、筆、技術、練習した枚数、さまざまな要素を見抜ける。
それゆえ、作品を作り上げるにあたって、コツコツと、真剣に向き合い、
時間を使い、努力を重ねている人に対して、えこひいきをする。
例えば、教室に通っている門下生に対して、
家でも練習し、見てくださいと言ってくる方には、あからさまにえこひいきをするのだ。
時間をかけて努力してきた人に対して、彼女はそれ相応の時間をかけて作品をみて、
アドバイスをする。
どんなに時間がかかったとしても、努力している人が報われるよう、
その人たちに優先的に時間を使う。
彼女のえこひいきは、ポジティブなえこひいきなのだ。
えこひいきは悪?
なぜ、このようなえこひいきをするのか。
その心の内には、
「真っ当な人に、きちんと利益が届く世の中であって欲しい」という思いがある。
たくさんの人がそれぞれの思いを持って生きているこの世の中で、
「なんでもかんでも平等なんてありえないでしょ」というのが彼女の主張だ。
面白いことに、彼女は、金八先生が嫌いだという。
金八先生は、いわゆる”問題児”の心を正すために、その子らを更生するために
授業の時間を使っている。
大切な授業の時間を、まともに授業を受けようとしない人のために使っているのだ。
それが気に食わない。
なぜならその間、真面目に授業を受け、勉強して、努力しようとしている人の
貴重な授業時間が奪われているからだ。
どうして、真面目に授業を受けようとしている人が、
無駄な時間を過ごさなければならないの?不利益を被るの?
あり得ない。
それが彼女の考えだ。
言われてみると、確かに。
えこひいきはよくない、というのは、世間一般の大多数の声だろうとは思う。
だけど、考えてみて欲しい。
自分の好きな人や頑張ってる人を応援したくなるのは、当然ではないだろうか。
その気持ち、その自分の本音に従うことの何がいけないのか。
真っ当な努力をしてきた人に、正当な評価をしたい。
真っ当な人にきちんと利益が届く世の中であって欲しい。
この思いも、至極真っ当なのだ。
さまざまな条件、環境、理由により、思うように努力ができない
難しい人もいるだろう。
だからといって、環境に恵まれている、恵まれていない、どちらにせよ、
何かに時間を使って、努力していることは評価に値するはずなのだ。
そして、その評価は、真っ先にされて然るべきではないだろうか。
えこひいきの裏にある怒り
彼女と話をしていて、たびたび出てくるキーワードが「怒り」だ。
そしてこのえこひいきの話の裏にも、どうやら怒りが顔を覗かせているらしい。
これまでの連載の中でもお伝えしてきたが、
彼女は「オールOK」の人間だ。
彼女は「どんな人にもいいところあるじゃん」なんてことは、1mmも思ってない。
だってこれは、「どんな人にもいいところがあるわけではない」という考えが根底にある証拠だから。
そもそもの彼女の考えのベースは、地球上の人間全員「いいに決まってる」。
みんなに当たり前に価値がある。力がある、素晴らしい。
それが当たり前、当然。
誰しもに、ちゃんと力があり、
その人の可能性があり、
その人にしかない魅力が、いくつもある。
それが当たり前なのだ。
それなのに、
努力を怠って、自分にできることをやらない、
やってもいないのに、自分でできな〜いって言っている人、
真っ当に頑張ってる人の邪魔をする人に腹が立つ。
ちゃんと力発揮しなよ、
ちゃんと自分のこと認めなよ、
諦めてるんじゃないよ。
ちゃんと努力してる人は
ちゃんと認めるから。
わかるんだから。
才能がある人もいるかもしれない。
だけどね、才能だけでは無理だよ。
ちゃんと努力してるんだよ、結果出す人は。
そういうひとを、めんこがるよ。(※方言:可愛がるよ)
楽していい思いしようとしてんじゃないよ。
ちゃんと考えて、
ちゃんと失敗して、
ちゃんと自分の力でやってよ。
全部認めてやっから。
ちゃんと頑張ろうよ。
ちゃんと苦しもうよ。
ちゃんと、嫌な気持ちも乗り越えていこうよ。
そのための方法は、いくらでも知ってるから。
いくらでも、教えるから。
そうして、ちゃんと努力した人に、時間を優先して時間を使う。
その人がすごいって伝える。
明らかに、えこひいきする。
だって、ちゃんとやってんだから。
彼女との会話の裏側から、そんな声が聞こえた気がした。
新たな挑戦
彼女はこれまで、自分自身の言葉を書で表現することは少なかった。
ただ過去2年間だけ、目の前の人に向けて、彼女自身の言葉を書いていた時期があった。
数百枚と書いてきた彼女の言葉は、「なぜわかるんですか!?」と多くの人の
心を刺してきた。
その時期に書いたある言葉を、
彼女はまた書くことを決意した。
”君のそれもいいね。
僕のとは違う
君のそれも素敵だよ。”
みんな違ってみんないいとか、そんな陳腐なことを言いたいわけじゃない。
みんな同じなわけないし、みんな平等なわけがない。
だからといってそれはネガティブな意味ではなくて、
その違いを理解して、客観的に見て、もっと真理を見てよ。
そんなメッセージが、
彼女の言葉から、彼女の作品から
発せられているような気がしてならない。
あなたはこの作品から
どんな印象を受けるのだろうか。
最後に
彼女は今、苦しみながら、
葛藤しながら、新たな作品を書き上げている。
この作品が出来上がることで、
この作品を世に出すことで、
その作品を見た方が、どのような感情を抱くのか。
彼女の興味は、今そこにも向いている。
さらに、先日の彼女へのインタビューの場面で
彼女の脳のとあるスイッチが、久しぶりにオンになったという。
過去に使っていた脳に、
今の技術で、
今の心持ちで、
今の関吉久美で、
再び新たな活力が注がれようとしている。
また新たな扉が、開かれるに違いない。
ここで、関吉さん本人からのアンサーを紹介します。
【関吉久美のアンサー】
かつての日本の教育はとにかく「均等化」。(今はどうかな?)
デコボコを平らにならしたい。
私が小学生の時、ちゃんとできる子はほったらかしで、できない子にばかり先生は時間と手間暇をかける。
デコボコをならすには、できない子を引き上げるしかないからね。
できる私からしたは「はぁ?できてる私はほったらかし??」そこに理不尽さを感じていました。
私が高校の先生をやっていた頃、クラスに悪さをする生徒がいても、その子を正そうとはしませんでした。
とにかく「真っ当に、真面目に頑張ろうとする生徒を守る」事に注力したいので、悪さをする生徒には「無音無臭でやれ、邪魔をするな」と言ってました。正すのは私の仕事ではない。真っ当な子に授業をするのが私の仕事。
だから金八先生は嫌いです。
不良にばかり時間をかけてね。
真っ当な生徒役の子の表情見た事ありますか?
私は真っ当に真面目に努力してる人を真っ当に評価したい。その人にはちゃんと時間とエネルギーをかけたい。
平等になんかならないよ。
私はえこひいきしますよ。

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